当初は商船として建造され 大日本帝国海軍では武器を乗せ 終戦直後は祖国に戻る兵を乗せ 灯台補給船として物資を乗せ 南極観測船として日本の希望を乗せ 巡視船として救助者を乗せた船、 『宗谷』は日本中に見送られ引退した。 スクラップになる予定だったが、『宗谷を残して欲しい』との声が届き始める 特務艦時代の戦友会、南極OB 会、北の海で助けられた人、宗谷を愛した沢山の人の手紙が嘆願書として連日の様に届けられた 海上保安庁はこの声に応え東京お台場に船の科学館を新設、宗谷の保存を決めた 『宗谷』は微睡みの中にいる 何故、深い眠りの中に居ないのかと言うと訓練で実際使われているのだ 船籍も未だに健在。整備、修復をすれば国外にも行ける 南極観測隊が出発する際は汽笛で見送る 航海の安全を願って 一方、『北洋の守り神』の引退後に就役した船の名前は、やはり【宗谷】だった。 二代目宗谷は就役から30年たった今でも北の荒海を守り続ける 幸運船 神の衣を纏う船 灯台の白姫 不可能を可能にする船 北洋の守り神 時を越え、 場所を変え、 世代をこえて愛され続けた奇跡の船 日本人は古来より『全ての物に神様は宿る』と考えていた 幸運船の正体とは、大切に扱われた船に宿った『ステキな何か』だったのかもしれない 暁 はーいっ!長編になった宗谷編も終わりです♪(゚∀゚*) 俺 これでも随分減らしたんだよ、、、( ;∀;) 宗谷はエピソードが多すぎてマトモに書いたら10000字を楽に越えるからね~っ! 暁 書ききれなかったお話をちょっとだけ紹介します♪ 特務艦時代には航行中、超鈍足なのを良いことにアミで漁もしてたみたい♪(゚∀゚*) 途中、食料の尽きかけた艦に遭遇して取れたての魚を全て渡すと『こんなに良いんですか?』と大喜び。 宗谷の船長は『また捕れば良いので』と誇らしげだったとかw 魚雷が命中したが不発だった時は、船体から引き抜いた魚雷を囲んで記念撮影したらしいw 復員船の時、船の中で産まれた赤ん坊には幸運が宿る様に『宗子』と名付けられた。 宗子さんは宗谷の退役式にも参加したんだって🎵 巡視船時代は海保の旗船を勤め上げていたので規律が超厳しくて若手から恐れられていたとか((( ;゚Д゚))) それではまたね~♪
2017/11/28 05:54:57
かいとさん、チーパンさんのありがとう♪ (*ノ゚Д゚)八(*゚Д゚*)八(゚Д゚*)ノィェーィ!
楽しみにしてます❤️
ですね!
もげとさん、その通りですねっ! これからも二代目宗谷に頑張って貰いましょう♪(゚∀゚*)
北海道の誇りですね!
まもるさん、ありがとー‼ 私も近くを通るのに中々行けません( ;∀;)
チーパンさんありがとう♪ 書き残した小話をチョロッと日記にあげようかなって思ってます(*´・ω-)b!
お疲れ様です〜僕も船の科学館行ってみたいと思いました。仕事で近くはちょこちょこ走ってるんですけどね〜
とても楽しく読ませていただきました✨🙌🏻ドキドキワクワクしました❤️お疲れ様です〜
あら、ありがとう♪(゚∀゚*) その時は是非立ち寄って下さい(*´・ω-)b!
宗谷編お疲れ様でした❗ 楽しく見させて貰い、また勉強にもなりまし😄✋ パパンテさんの記事のおかげで自分も少し戦艦に興味を持ちました👍 お台場に立ち寄った際には、船の科学館行ってみたいと思います🙆
コバ君、ありがとう♪(゚∀゚*)
トプ画おめです(*^^)v
こちらこそありがとう♪(゚∀゚*) 逸話をもった艦はまだまだ在りますが雪風や宗谷と比べると見劣りしてしまいます、、、( ;∀;) また気が向いたら書きますねd(>ω<。)!
宗谷篇お疲れ様です('ω’) 最後まで勉強になりました!
これまで私の特に気に入った艦を紹介してきましたが、ひとまず終了です。 アホみたいに仕事が忙しく、新造艦建設は難航中、、、( ;∀;)
宗谷編お疲れ様でした(笑)楽しかったですわ〜(//∇//)