「人類がより高みに到達するため、先ずその肉体が不要なのです。計画の邪魔者は、排除致します。」 「大丈夫、新たなカタチになれるから。」 「頑張っても結局駄目だったわね。」 「ハイパーシステム起動。システム臨界点までカウントスタート。」 「無意味だわ。」 「何でまだやる?」 「終わりだ。しぬがよい。」 *おい、何か喋れよ? いや、流石にこのプレイ動画見せられたら絶句するしかないわ。てか、このラスボス(陰蜂)のセリフですらプレイヤーのメンタルを削りにいくのがヤバい。てかこのシューター、どんだけマゾなんだよ(笑) *そっちなの?まぁ、これといってネタがないのもわかるけど。それに結局は哲学で何が言いたかったの? そうだなぁ。再びスタートラインに戻ってきたって、ずっとこんな事を繰り返し言ってるけど、そのスタートラインってのも古代アリストテレスから常に固定されてしまってるのよな。形而上学や三段論法みたいな原型(ハイパーシステム)にはずっと変更はない。 *三段論法ねぇ。 ただ一見揺るぎなさそうに見えた基本的な論理学も、ウィトゲンシュタインによって遂に存在意義が揺るがされる訳だ。 今や文系も理系も関係なく、論文と言えば1)問題提起や仮説、2)推論手順や方策、3)結論(主に統計的な説明)、4)先行研究の目録。この手順は変わらない。 ただしウィトゲンシュタインにとっては、この1)〜4)は互いに関連を持たない事になる。 それぞれがそれぞれの視点で"同時"に語られるだけ、しかも「全ての命題に序列はない」の。 「問う事ができる問題は、答える事ができる。」「確率命題は、いわばほかの命題たちからの抜粋である。」「好都合な偶然のおかげで正しいだけかもしれない。」 この辺の話は現代の学者たちですら、ぐうの音も出ないだろう。 *「それでも明日は太陽は昇る」は仮説である。という主張は極端過ぎるのじゃない? 戦時下の人だからこそ深刻な問題なんだろうけどね。私はせいぜいミニ四駆に例えて、「自分のマシンが完走できるかどうかは、コースの完走率とは何ら関係がない。」だとかスケールの小せぇ話しかできそうにないわ。 *それでもこうして「語る事ができる」とでも? そうかもな。 まぁ、こんな風にウィトゲンシュタインを語る人も私ぐらいかもね。東浩紀さんのは...。正直よく分からんかったが(笑)
2024/04/06 09:40:17