鳥山明先生が亡くなられたようだ。恐らく世界で最も有名な漫画家の1人。 カントの事を「世界で最も偉大な漫画家かもしれない」と述べていた事があるが、正確に言えば"漫遊"と"人類の歴史"を併記し、類比し、その辻褄を合わせる事で、ある結論に至ったまでの事のようにも思える。 これはニーチェも同じような事を述べたと思うが、漫遊とは人類の歴史の(3面あるうちの)ある1面のみを強力に切り取ったものである。歴史は歴史として「10人居たとしたら10人同じ答えを述べなければならない」コードなのであるが、漫遊は言わば"歴史そのものがモディファイされたもの"であるがゆえ、それについて"個人の感想を述べる事がどこまでも許される"のである。 そしてこうも言えるだろう。人類の歴史なくして漫遊はないが、「漫遊なくして人類の歴史なし」 AIにとって理解しがたい人間の性質でもある。 ・漫画家の先生が亡くなると世界中から溜息が出るのは何でだろうね\(//∇//)\ 上で述べた通り、漫画は大文字の歴史学とは異なる"裏歴史"というか"黒歴史"だからだろうな(笑) ミニ四駆にも前述の公式的な歴史とは異なる裏歴史があって、モディファイの歴史というか、"改造学"とも呼べる特別な歴史が想定できるだろう。ミニ四駆がミニ四駆たらしめる特別な理由で、貴方が持ってるマシンもその辻褄合わせの産物なのだと。 ・ローラー TYPE2シャーシから標準装備となるものの、初期のTYPE1シャーシでは未装備だったし、もっともコースを走らせる事は想定していなかったので、それはぎこちないものだっただろう。とあるレーサーが洋服のボタンをバンパーに取り付けたのが起源とされる。同様にスタビライザーポールも待針が起源だったようで、その意匠はなんとなくだが残されている。 ・ブレーキ 私が知る限りでは、初出は1991年のグレートジャパンカップまで遡る。起伏の激しいコース、ジャンプ台は現在の立体コースを思わせるものだが、完走率は低かった記憶がある。(私もジャンプ台で処された)当時はプラ板の使用が許されていたが、プラ板にゴールドターミナルのパッケージのスポンジを貼り付けた、現在のブレーキに近いシステムが見事にこの難コースを制圧した。(この後あまり難しい立体コースは控えてた印象もあり、しばらく見かけなかったのはある。) (つづく)
2024/03/08 21:02:00