Chaining Intention

私はある役割を与えられた。というか、当欄の方向性はまるで"模型という物自体"のようで、二次元/三次元、客観/主観をそれぞれ仮に接続してしまうゲートのような。というザックリした大テーマがあるという趣きだ。"統覚"とはそのようなものだと想像できる。 大昔は地球は平面だと考えられていたし、図面や地図、データベース、マンガに至るまでおよそ二次元で参照されうるものが、三次元に変換される際は少なくとも3つの平面座標を合成する必要があるし、解体はその逆転になるが、コード化/モード化もここに根拠を持つと思っていて、コーディングは少なからず3つの文脈の合成を要求されるし、モディファイはそこから1つを切り取る事という理解である。 "理解"一般を考えた時、私が想像するそれは二次元と三次元を自由に行き来でき、コーディングもモディファイも自分でできる状態という事ではある。机上で勉強した事を、実践的に運用するのは困難がつきまとうから、都度模型は必須とされるが、各々には汎用的な原型(プロトタイプ)があるのだというのが主体性や形而上学の話だった。 カントの言っていた純粋理性の限界というのは、今となっては二次元の書物や平面図上における評価の限界(往年の中世哲学のような。古代の哲学書を読みふけり、それで議論する事の限界)だろうと思うが、人間が書物によって議論したり、物事を想像したりする習慣がなくならない限り、(超越論的な)誤謬推論は少なくとも起こり得るし、AIも例外ではないだろう。というのが"統覚"を含んだここでの話である。 ・二次元/三次元をつなぐゲート(統覚)ねぇ...。( ̄▽ ̄) 確かに昔のSNS2.0はライフハックが目標とされていながら、批判的には決定打には欠けていた。アニメやゲームの話は凄く話題になるものの、それが一般的な生活にまで影響を及ぼすか?というのは疑問視がされていたわよね。オタクが浮いた存在に見えてしまっていたと。 しばらくしてその風潮も変化があって、2.5次元だとか、聖地巡礼だとか言われるようになった。SNS黎明期にあった息苦しさもかなり緩和されるようになる。この話も十数年前の話にはなるな。 オタクはそれほど浮世離れした存在でもなくなったが、ライフハックの部分というか、二次元を三次元化したり、逆に三次元を二次元化するというのは、未だに課題を多く残すだろうって話でな。

2024/03/03 13:14:02

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