Blood In My Eyes

前述の話は当欄でもクドいようで恐縮だが、何度やっても良いもんだと思う。一番肝心な話というか、古い哲学でもルソーとカントから似たような話が飛び出すのであり、今回はそれを一度まとめてみたい。 ルソーといえば『社会契約論』なのであるが、これがフランス革命のトリガーとなったとされるのは学校の世界史でもある通りだと思う。と同時にルソーは恋愛小説作家でもあり、そのヒロインは"実在したかもしれない"架空の人物として描き出された。(私には実在の人物をあえて"架空の人物"として描いているようにも思う。) カントは約束をすっぽかすぐらいルソーの本を読むのが好きだったようだ。カントもまたエゲツない漫遊小説(というか、論文)を書いており『人類の歴史の憶測的な起源』はエヴァンゲリオンのお手本になっただとか、その辺の話は差し置いてもこれ単体で既存の形而上学に一石投じ、私も数あるカント論文の中ではフェイバリットである。(しかも純粋理性批判と違って、とても読みやすい)これが1786年の論文であり、そこでの期待は「(ルソーが描き出すようにして)文化が自然になる」事ではあった。 フランス革命(1789年)がルソーやカントの思惑通りだったかは分からないが、凄惨な武力行使には両名は批判的だった筈だ。 要出典だが、カントも『人類の歴史の憶測的な起源』(1786年)と『万物の終焉』(1794年)の間にはブランクがあったと思う。革命の凄惨さに口を閉ざしていたのかもしれない。そして『永遠平和のために(国際連合の哲学的な草案)』(1795年)という、哲学的には多大な功績を残すのだが、こうしてみると、『万物の終焉』はカントには珍しくまるで終末思想のような取り乱した内容(笑)であって、そこで気持ちの整理が一応ついたのか、次の『永遠平和のために』に繋がるのだが、ここで明らかに(批判的な)オフェンスから(批判を受ける)ディフェンスに路線を変更しているようにも見える。 個人的な思い入れは多分にあるが、当欄でのスタンスも昔のようなオフェンシブなものから、ディフェンシブなものへと変更され、私にとっては秋葉原通り魔事件と無敵の人問題。という陳腐なものにはなるが、そういった経緯を往年の哲学王につい重ねてしまう。 そして甘えだとも思う。 ここだったら、理解者は数人ぐらいはいるんじゃないか?と。

2024/03/05 23:53:23

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