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この際だから前回の続きを述べてみようとも思う。 カント後の文系。つまり現代思想だとかポストモダン哲学が言われている通りの全くの無駄で役立たずだったのか?と言われれば実際そんな事はないが、それぞれにメリット/デメリットがあって総合判断が難しかったり、上手くコンパイルができない、他分野に流用できなかったりとそんなカンジなのだが、ザックリと2系統に分かれていた。 1つは哲学の"素粒子的な"解釈とも言えよう。カントが言語の「コンピュータ的な」記号化や推論を推し進めた所に加えて、言外領域まで手を出したのがジャック・デリダ派ではあった。どちらかと言えば人間のディスコミュニケーションが専門領域であり、思想家の東浩紀さんもここにカウントされる。 "散種"や"誤配"解釈といった「アドレスの非整合性を論旨とする」傾向が強い。まぁ、似非科学だが。 もう1つはジークムント・フロイトを起点とする精神分析界隈である。カントの人間学を推し進め、確かに精神医学の立ち上げには貢献したものの、「基本的に出過ぎ」で、やたらめったら他人を病気扱いにしたがる傍迷惑な言動が目立つ。昔は"分裂病"と呼ばれていたものが"統合失調症"に差し戻されたのはそういった経緯だと思われるが、文藝批評界隈でも猛威を奮っていたのは確かなようだ。 精神医学とは切り離された後に再び猛威を奮ったのがジャック・ラカンであり、稀しくもデリダ/ラカンの両ジャック同士の決闘にフランス現代思想は沸き立っていたという訳だ。私も東浩紀に対抗するためにこのポジションに居着いた時期があるが、言わば似非宗教だろう。 両雄ともに甲乙付け難くもあるが、今の時代は「フランス先鋭の文芸評論を持ち帰れば勝てる」時代でも無くなり、このSNS時代においてはまず「勝敗の意図する所が変容した」とも思い、先程のラカンポジションからは早々に足を洗う羽目になった。 よく言われる通り、「建設的な意見が出にくいし、それが上手く連結・連動しない。」というのが第一に挙げられる。確かに「批判」は文芸一般を引っ張っていく原動力足り得たが、今の時代の要求はそれ以上だし、それに答えられない。 もう1つは...。「というか、証明できない。」だ。可能性/不可能性を軸とするやり方にはいずれも限界設定がある。もっともそれはカントが最初から指摘していたものだろう。

2023/11/19 11:21:50

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